外観

HISTORY

HISTORY

レストラン「銀座 みかわや」の小さな歴史は、日本の壮大な文明開化に大きな歴史の中に刻まれています。創業時の姿は浮世絵師:四代広重の「銀座繁昌之図」の中にも描かれています。明治20年(西暦1887年)9月、創業者の保坂芳次郎は、現在の銀座通りにある「和光」のとなりに「三河屋食料品店」を開業しました。彼は、300年続いた徳川幕府に仕えた三河出身の保坂一族の末裔でした。その後、後継者の保坂幸治は、明治末から大正、昭和にかけて文化人として激動の時代を生き抜きました。彼は銀座通連合会会長として、銀座の変革と再興にかかわりました。

現在の「みかわや」は、終戦の混乱の中で元社長の渡仲豊一郎が先代より「三河屋食料品店」を受け継ぎ、現在地に「フランス料理 みかわや」として再興したものです。渡仲豊一郎は、フランス料理の真髄を日本に伝えた、横浜 ホテルニューグランドの初代料理長であるS.ワイルから、フランス料理の“技と心”を直伝された数名の中の一人。その心は今も変わらず「銀座 みかわや」で受け継いでいます。

今や東京、中でも銀座には、世界のあらゆる超一級品が集まるようになり、経済も“規模”から“質”を大切にするようになりました。味覚の原点は“シンプルさ”の中にあり、食材の一つひとつがバランスよく合わさることで、楽しいハーモニーを奏でます。余分なものはそぎ落とし、食する者と作る者とが一皿を通して「味の深淵でかよい合える時」...それは私たちにとって至上の喜びです。

  • カニ

  • コンソメ

日本独自の文化ごはんに合う洋食を。

フランス料理が日本に広まったころ、馴染みのないものに日本人は、なかなか手が出せませんでした。現在日本でフランス料理が定着したのは、世の中のフランス料理が変化したことにあります。日本人の主食であるコメを中心とした食文化と、西洋文化の融合を考え、ご飯を食べるためのおかずとしてフランス料理は進化したのです。今の私たちに馴染み深いフランス料理は、日本人に親しまれやすい味をと調整した〝日本独自のフランス料理〟だったのです。そして、今では「洋食」と呼ばれるようになりました。これは、日本にとって大切な歴史の1ページです。

グラタン

グラタン

「日本のフランス料理人」といわれ、フランス料理の真髄を日本に伝えた、横浜 ホテルニューグランドの初代料理長S.ワイル。当店は、彼からフランス料理の“技と心”を直接受け継いでいます。そして、当店がお届けするグラタンも彼が体調を崩した外国人客のために即興で考案した一品が原型です。

ある時、体調が優れない常連様の「体調が良くないので、何かのど越しの良いものを」というご要望から、バターライスに海老のクリーム煮を乗せ、グラタンソースにチーズをかけてオーブンで焼いたものを提供したそうです。今では、全国で洋食の代表「ドリア」として大人気となりました。

当店のオリジナルは、グラタンとして、ペンネではなく、少量のバターライスを使用して舌触りのいいものに。フランス料理の基盤は残しながら、日本人の親しみやすい味わいを考えて、味付けはシンプルでやさしいものに仕上げました。そんな、ストーリーから生まれた当店のグラタンは、多くの方にご愛顧いただいた歴史のある一皿です。

  • テーブルセット
  • 漬物緑茶

創業当時のままのレシピで、今も料理を提供しております。当店は、日本の食文化を忘れることはなく、〝お箸で食べるフランス料理を〟ご提供しており、ご飯ものを頼んだ方には、漬物を付けて、食後には緑茶をお出ししています。代々受け継がれた、当店ならではの洋食屋のスタイルです。

  • 店内
  • 店内1階
  • 螺旋階段

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